文化・芸術

元気をもらう

 50歳代は軽い欝であった。原因は、当時作っていたドキュメンタリー映画「ファザーレスー父なき時代」の内輪もめである。ぼくは製作統括で責任者であったので、製作スタッフがある日、突然に失踪されると、頭を抱えてしまう。内部の雰囲気がすこぶる良くない。しかし、残った製作スタッフが最後まで仕事をなし終え、99年7月に渋谷「ユーロスペース」で封切りを迎えることが出来た。でも、失踪した音楽スタッフは今どうしているだろうか?才能があったので、余計に気にかかる。

 60歳の大台を超え、欝は少しづつ快方に向かった。でも、時々、「これで良いんだろうか?」と、人知れず、悩むことがある。ましてや、貯金通帳が毎月、決まって目減りすると、塞ぎ込んでしまう。

 そんな時、週1度、渋谷区の施設「せせらぎ」でリハビリをすると、目だって明るくなる。ひとえにリハビリ仲間のおかげである。とりわけ、リーダーである左官屋の(元)社長の話を聞いていると、元気が出てくる。「せせらぎ」では、リハビリ仲間がおしゃべりをしながら、訓練が出来る。(元)社長は同年代で浅川マキなどの歌手に詳しい。先日も山崎ハコのCDをもらってしまった。

 もちろん、今までいろんなことがあっただろうが、そんなことを微塵も感じさせないくらいに明るく、そして人を受け入れている。「自遊人」のぼくなんかは、パソコンや読書で一日を終えることが多く、(元)社長に週1回会えることは救いである。自分の非社交的なことを痛感させられる。

 また、リハビリを通して、最近良く話すようになった人は、某大会社の(元)営業本部長、常務だった人である。ぼくよりも一期先輩であるが、同じ笹塚駅前の共同住宅に住んでいる。ぼくは30年、彼は10年、同じところに住んでいるが、ぼく以上に、この笹塚のことを知っている。コーヒー屋は中村屋近くの豆から挽くところがうまいとか、床屋は甲州街道傍、交番近くが腕がいいとか、教えられることばかりである。一番痛いのは「山谷さんは本ばかりで、ビジネスの実際を表面しか見ていない」と、指摘されるところである。

 確かに今まで本はたくさん読んできた。しかし、局から仕事をもらうために、テレビ番組製作会社の社長、製作部長が毎夜、接待していることはあまり興味がなかった。でも企画部長としては、それではいけないことを、(元)営業本部長はやんわりと批判する。ぼくもカラオケぐらいは、付き合わねばならなかったようだ。

 高見順著「いやな感じ」は、30年代、社会不安に揺れる日本を活写した傑作である。20歳前後に読んで、感動して、また読み返そうと思ってインターネットで調べていると、懐かしい名前のブログがあった。「映画監督 横山博人」のブログである。日大芸術学部出身、同年代で、一時期、映画「純」などで、話題になった監督である。横浜映画放送専門学院(現 日本映画学校)で80年代、たまたま同僚だった人だ。彼は劇映画、ぼくはドキュメンタリーと専門分野は違っていたが、明るい、育ちのいい人の印象が強い。

 やがて、映画学校で姿を見ることがなくなり、何本か劇映画の監督をしたり、プロデューサーをしていたことは風の便りで知っていたが、近年名前を見ることがめっきりなくなり、元気なのか心配であった。それが「映画監督 横山博人」のブログである。いつか撮れるかもしれない映画のことが延々と書かれており、感動した。昨年、下血をしたことも、ぼくとまったく同じで、親近感を持った。

 現在、埼玉県でタクシー運転手を続けながら、再起を狙っているところで、ブログを読んでいて、涙ぐんでしまった。顔写真もあり、快活で育ちの良いところは昔と変わらない。あれほどの売れっ子監督がタクシー運転手しながら、次作の準備をしている。それに比べ、「B級」とはいえ、ぼくは?つい、つい、深く反省してしまった。

 左官屋の(元)社長、(元)営業本部長、そして「映画監督 横山博人」のブログに元気をもらいながら、今年も「白あり公務員」駆除に励みたい。

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