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久しぶりに帰省した

 12月5日に久しぶりに帰省した。ぼくの故郷は人口約17万人の富山県高岡市。中学校までいた。県下で一番の進学校・富山中部高校に合格したが、受験生の顔を見て、暗くて面白くなさそうなので、たまたま出来て間もない国立長岡高専(5年制)に進学することにした。

 しかし、長岡高専に4年間いて、落第し、自分は理系に向いていないことをとことん悟り、早稲田大学文学部に大きく転進した。その間、学費をずっと払ってくれたのは母である。母は高岡で映画館に勤め、裕次郎、吉永小百合、スターウオーズ人気等で、映画が好景気だったこともあり、大学も5年間も在学し、落第生だった一人っ子のぼくにせっせと送金してくれた。

 60年代、昭和の時代の高岡は鋳物、漆器の職人、床屋、果物屋の商人たちがまだまだ元気で、そういう人たちが母の映画館、祖母の履物屋のお客さんだった。それが昭和が終焉し、バブル崩壊後に町全体がみるみる衰退し、現在では60年代、昭和の賑わいが嘘のようなゴーストタウン化、劣化現象が進んでいる。駅周辺は見事なほどの「シヤッター通り」である。

 原因は、バブル崩壊後に富山湾沿いにあった重厚長大の工場が中国に移転したり、鋳物、漆器が安い中国製品に押され、かわいそうなくらいに売れなくなったからである。中学校の同級生たちの実家も倒産したり、突然、同級生の消息が絶たれる。かって、ひそかに恋焦がれていた中学きっての美女の鋳物問屋の実家も倒産し、お婿さんと彼女も町から姿を消した。偶然、東京で再会したが、かっての華やかな面影はなかった。

 5日は強風のため、2時間遅れで高岡駅に着いたが、駅前ビルはサラ金ビルになり果てていた。ミスター・ドーナツなどのまっとうな店子が撤退し、代わりに店を出したのがサラ金である。ずらっと、けばけばしいサラ金の支店が軒を並べるのは壮観である。でも下品だ。駅前ビルは高岡の「貧すれば、鈍す」の象徴である。

 今回の帰省の目的は、母の頼みで郵便局で金を下ろし、銀行口座に移し変えるためである。55歳から厚生年金をもらい、それでも65歳まで映画館を辞めなかった母は、まだ郵便局に十分な蓄えがある。だから89歳の今でも、車椅子ではありながら、老人健康施設(老健)の広い個室で優雅な老後を過ごすことができる。

 それが小泉内閣になってから、毎月17万円の年金では少し足りなくなってきた。でも息子をわざわざ東京から呼んで、郵便局で金を下ろすほどではない。不安なのである。老健の毎月の支払いの後に、銀行通帳にまだ何十万も残金がないと落ち着かない。幸い、郵便局も銀行も間に合い、すべての用事を済ませることが出来た。時間がまだあったので、中学同級生の駅前の床屋へ行った。ここも客がほとんどいなかった。

 2時間近く、丁寧に髪を切り、髭を剃り落としてもらいながら、同級生に町の事情を聞いた。床屋は町の「情報センター」である。父の代からの昔ながらの床屋は、町の事情に詳しい。どこどこの会社が倒産をしたり、一家夜逃げをしたり、スナックの家賃が払えなくなったり、高岡の明るい話は少ない。とりわけ、駅裏の大型スーパー「サテイ」の、09年1月の閉店は大きな話題である。ダイエー、ユニーと多くのスーパーは早めに撤退した。サテイがこれで消滅し、ただ一つ郊外に残るは巨大イオンだけである。駅の商店街のほとんどの店を倒産させ、イオンの圧倒的な一人勝ちである。

 「サテイ」が店仕舞いすると、車がない近くの高齢者が困る。母は老健にいるからまだ良いが、駅近くの老人たちは、かろうじて残る「大和デパート」の地下で、高価な大根1本を買わねばならなくなる。10月に帰省したときに、かみさんと駅から自宅まで10分ぐらい歩いて帰ったが、夜7時ころ、ほとんどの家で、明かりを見ることがなかった。若い人が少なく、老人しかいないのに、おかしいと思っていたが、自分の母のことを考えると納得する。町内の老人たちは病院に入っているか、買い物に不便なので、子供たちの郊外の家に引き取られているのだ。

 夜はニューオータニ高岡に泊まる。1泊+豪華な朝飯付きで6,800円である。今まで1万円近かったが、値段を落とさないと客が取れないのである。ディナーもフルコースで1,500円で、何か得をした気持ちになった。今回は寒いので、近くの割烹「八五郎」には行かなかった。ここは5000円近くは取るが氷見のぶりなど、新鮮な魚が美味しく、いつ行っても満員である。高岡でも、少数の勝ち組はいるにはいる。

 翌朝、6日は猛吹雪である。午前中に老健の母を見舞い、午後1時41分の「はくたか13号」で東京に戻った。JR東日本の「大人の休日倶楽部」、1万2千円で指定券付き帰省切符は、これで今年はもう終わりである。雪が溶ける来年3月まで、もう高岡に帰ることはない。

 実は、10月にかみさんが親友の墓にお参りをしたいというので、全日空で1泊2日で帰郷したが、富山空港から高岡駅までのバスにショックを受けた。まず、バスが古臭く、運転手も祖雑で、乗っていて不快だった。帰りも高岡駅前の吹きっさらしのバス停で閉口した。便所もなく、使いたいときは5分も歩いて、高岡駅の便所に行かねばならない。これに懲り、飛行機を使わず、出来るだけ、はるかに安いJR「大人の休日倶楽部」を使うようにしている。

 「故郷は遠きにありて思うもの」。60年代、昭和の時代の高岡はまだ職人、商人、工員が多く、典型的なブルーカラーの町にも活気があった。氷見線は伏木の工場に通うブルーカラーで満員だったし、年始の駅前には近郷、近在の職人、工員でごった返し、商店街は大賑わいだった。まだ大型スーパーはなかった。それがバブル崩壊後、工場は中国に移転し、職安は仕事を探す元工員で溢れていた。母の映画館もやがて閉館し、高岡の町は失業者と年金で生活をする老人の町へと、大きく変わった。しんしんと底冷えのする町である。

 高岡交通のタクシーでびっくりしたことがある。運転手がやけに上品なので、前職を聞いてみた。「以前は、高校の教師でした」。町全体が底冷えし、私立高校に生徒が集まらなくなり、一部の教師が解雇された。その一人が、ぼくの前にいる。高岡の惨状、ここに極まれり。

 6日、上越新幹線のトンネルを抜けると関東平野は澄み渡った青空だった。越後湯沢まで雪に苦しめられたが、笹塚は温かく、そして人ばかりが多かった。笹塚では再開発が進行中で、駅前は大きく変わろうとしている。駅前の京王グループの建物が老朽化のため、新築され、大型ショッピングセンターがこれから出来る。現在、笹塚では2DKマンションが月15万円前後だが、再開発とともに18万円前後まで高騰するだろう。

 渋谷区に住むというのは大変、お金が掛かることである。地代、家賃、物価等、お隣の中野区、杉並区、世田谷区の10~20%、余分に請求される。渋谷区ではかって高岡を追われた商人、職人、工員たちが住むことは難しい。多くは神奈川、埼玉、千葉などの首都圏に分散している。渋谷区は港区と並んで「勝ち組」の町である。近年、ますますその傾向が強い。

 東京、とりわけ港区、渋谷区へと富は一極集中する。ここではスーパーが突然、閉店することもないし、元高校の教師がタクシー運転手することもない。日本国内の富と若者を集め、こんな不景気の中でもだんとつの一人勝ちするだろう。でも住民はそのぶん、負担を要求される。本当に必要だったら払おう。しかし、清掃、警備、学童擁護の人たちー白あり公務員ーの年収1000万円以上の事実を知ると、ついつい底冷えの町、わが故郷を考える。高岡市役所でも部長級で1000万円以上というのはほぼいない。

 いくら「金持ち、喧嘩せず」でも、そろそろ動いた方が良い。「白あり公務員」にまわす金ー多くは神奈川、埼玉、千葉、一部は八王子市の「白あり御殿」のローン返済にいくーを奨学金(東京都よりも小額)増額、それにこの不景気で解雇される非正規社員への救済に回した方が良い。緊急に助けを必要としている区民もいるのだ。もう、既得権に胡坐をかいている「白あり公務員」を駆除する時代である!

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